弁天島でぶらり旅

弁天島。

こんにちは!こ〜たろうです。

今日は静岡県松崎町にある弁天島でぶらり旅。

弁天島へのアクセス

弁天島の由来

かつては古代島(こだいじま)、巨鯛島(こだいじま)と呼ばれ海岸から橋で往来していた。昭和42年の南川河口工事により陸続きになった島。

弁天島遊歩道

遊歩道 猪岩。

猪岩。溶岩が海底で急に冷やされてできた岩。

島の周囲200mを歩いて回ることができますが、風や波が強い時はちょっと怖いかも。。

厳島神社

広島県安芸の宮島の分社で弁財天を祀っているため、弁天島と呼ばれるようになったとのこと。

厳島神社階段。

99段の階段。

厳島神社。

稲葉半七の碑

稲葉半七の碑

稲葉半七は、文政6年(1823年)3月江奈浜石川家に生まれ、弁天町の稲葉家(現半七丸)を継ぎ家業の漁業に従事した。体躯頑強で眼光は冴え、雲を仰ぎ見、潮流を見渡して天候を当て、更に漁獲の多少まで知って百に一つの違いもなかったと。

船の操縦にも優れ、転覆しそうな激浪の中でも平然として船を自在に操った。特に視力に優れ、数里離れた波間に魚のはねるのを見て仲間に知らせ、大漁をすることが出来て喜ばれた。

半七は明治28年(1895年)73歳の時、伊豆神津島の西南8里の処にある銭洲ノ瀬を探査して、鰹の群集していることを発見し、これを漁民に知らせたが、この新漁場の発見で、漁民は好漁場を得て漁獲量は増大する結果となった。半七は明治36年8月15日81歳で没したが、禅海寺過去帳に「海功永勲上座」とあり、「伊豆南島銭洲探見者故ニ上座号ヲ謚」と付記されている。半七は生来義を好み、威と愛を以て接し多くの漁民を導いた。明治39年2月、江奈浜漁業組組合は半七の功を賞して県内有志に呼びかけて、壱千円を集め巨鯛島(弁天島)の入口に顕彰碑を建立した。篆額は当時の水産局長牧朴真、碑文は明治に活躍した劇作家依田百川、書は禅海寺神山義容である。

松崎町HPより。

おつかれさまでした。