開国の街 下田でぶらり旅

黒船

こんにちは!こ〜たろうです。

今日は静岡県の下田市をぶらり旅。

伊豆急下田駅前にある黒船サスケハナ号は黒船来襲の時ペリーが乗っていた船で、サスケハナ号の星条旗は太平洋戦争で降伏文書署名の時ミズーリ号に飾られていた。

黒船来航の歴史

黒船

下田といえば黒船来航。下田と黒船の歴史を調べてみました。

  • 1852年11月:東インド艦隊司令長官兼米使提督マシュー・ペリーが艦隊4隻と共にアメリカを出発。船体が黒いのは防水塗装のため。黒船といえば蒸気船のイメージですが、蒸気船2隻、帆船2隻で蒸気で動くのは港内だけ。外洋では帆船で航行したとのこと。
  • 1853年5月:ペリー艦隊が琉球に上陸し首里城に入城。
  • 1853年7月:浦賀沖に出現し開国をせまるフィルモア大統領の親書を渡し香港に帰る。
  • 1854年2月:再び浦賀に艦隊9隻で出現。
  • 1854年3月:横浜村に上陸し日米和親条約を締結。9隻のうち7隻が下見のため条約で開港された下田に向かう。ポーハタン(ペリー搭乗)、ミシシッピー、サザンプトン、サプライ、レキシントン、バンダリア、マセドニアン。
  • 1854年4月:吉田松陰が金子重之輔と共に下田港の弁天島から伝馬船でポーハタン号に漕ぎ着けペリーにアメリカ渡航を願うも断られる。自首したため1859年11月、30歳の時に伝馬町牢獄で処刑される。
  • 1854年5月:ペリーが下田港に上陸し、了仙寺まで300人の水兵を引き連れ行進。日米和親条約付録下田条約を締結。
  • 1854年12月:ロシア使節プチャーチンがディアナ号で下田に来航。
  • 1854年12月:安政東海地震と津波で下田がほぼ壊滅状態になりディアナ号も大破。
  • 1855年1月:ディアナ号修理のため西伊豆の戸田(へだ)に向かうも駿河湾に沈没。乗員は全員救出。大工を集め日露共同で日本初の洋式造船(ヘダ号)を始める。
  • 1855年2月:長楽寺で日露和親条約が締結。国境が確定する。
  • 1855年5月:戸田で建造されたヘダ号でプチャーチンが帰国。
  • 1856年7月:通商条約締結のため米総領事タウンゼント・ハリスが下田に来航し玉泉寺に入る。
  • 1857年10月:ハリス一行が江戸に向け出発。
  • 1858年6月:ポーハタン号で日米修好通商条約調印。
  • 1859年5月:横浜港開港。
  • 1859年12月:下田港閉港。

ペリー艦隊来航記念碑

ペリー上陸の碑

ペリー一行はここから上陸し了仙寺に向かって行進した。

ペリーロード

この時通ったルートはペリーロードとして整備されています。

日本最初の開港地

長楽寺

長楽寺

日露和親条約が締結されたお寺。

踏海の朝

吉田松陰像

弁天島にある吉田松陰と金子重之輔の像。

斜交層理写真

弁天島の斜交層理(しゃこうそうり)。

玉泉寺

玉泉寺碑写真 玉泉寺写真

日本最初のアメリカ総領事館。アメリカ人とロシア人のお墓もある。

安直楼(あんちょくろう)

安直楼写真

ハリスの体調が悪くなった時16歳の洗濯女「お吉(おきち)」がお世話係として雇われるも腫れ物ができていたため3日で解雇。以後変な勘ぐりをした人々は「唐人お吉(とうじんおきち)」とさげすみ洗濯の仕事も失う。横浜や三島に移り住んだあと下田に戻り小料理屋の安直楼を開く。しかし自暴自棄になり酒におぼれ48歳で川に身投げした。

鵜島城址(下田城跡)

下田城跡写真

北条氏の海の拠点であったが、1590年豊臣側に囲まれ開城。現在は下田公園となり6月にはあじさい祭りが行われる。

下岡蓮杖(1823〜1914)

下岡蓮杖写真

下岡蓮杖(しもおかれんじょう)は下田出身で日本写真師の開祖。通訳のヒュースケンから写真の手ほどきを受け、下田港閉鎖後は横浜に移り、写真館を開業した。

くしだ蔵

くしだ蔵写真

今日のランチはペリーロード近くのくしだ蔵さんへ。

ナポリタン写真

ナポリタン&コーヒー 1100円。

おつかれさまでした。