【京都府京都市東山区】耳塚

京都市東山区、豊国神社門前にある史跡で鼻塚とも呼ばれる。豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役1592年~1598年)のうち、慶長の役で戦功の証として討取った朝鮮・明国兵の耳や鼻を削ぎ持ち帰ったものを葬った塚。
古墳状の盛り土をした上に五輪塔が建てられ周囲は石柵で囲まれている。1969年(昭和44年)4月12日、「方広寺石塁および石塔」として国の史跡に指定された。その後2014年に史跡の指定名称が「方広寺大仏殿跡及び石塁・石塔」に変更されている。当初は「鼻塚」と呼ばれていた。しかし林羅山がその著書『豊臣秀吉譜』の中で鼻そぎでは野蛮だというので「耳塚」と書いて以降、耳塚という呼称が広まったようである。2万人分の耳と鼻が埋められている。
この塚は慶長2年(1597年)に築造され、同年9月28日に施餓鬼供養が行われた。この施餓鬼供養は秀吉の意向に添って相国寺住持西笑承兌が行ったもので、京都五山の僧を集め盛大に行われたようである。Wikipedia